経営コンサルタントの長野研一です。
先日、運転中にふと耳にしたNHKラジオから、昭和の伝説的横綱・双葉山の肉声が流れてきました。 古い録音でしたが、その語り口には、現代のビジネスシーンが忘れてしまった「静謐(せいひつ)な強さ」が宿っていました。
双葉山は、自身の相撲の理想を「後の先(ごのせん)」と称しました。 相手より遅れて立ちながら、主導権を握る。この「矛盾」のような境地に、私はコンサルティングの本質を突きつけられた気がしたのです。

かつての私が求めていた「かっこよさ」の正体
正直に告白します。 かつての私は、お客様に「できるところ」を見せようと強がっていました。 知識を誇り、悩みを聞き終わったと同時に「それはこうすればいいんです」と助言を差し上げる。それがプロの証であり、最短距離の正解だと信じていたのです。
正直に言えば、即答する自分が「プロっぽくてかっこいい」と思っていた節さえありました。
しかし、ある時気づいたのです。 「私は、お客様が話している最中に、自分の脳内で『答え』を組み立てているだけではないか」と。
それは、お客様の言葉を私という人間の小さな枠組みに当てはめ、解決策を私一人の知恵で完結できるサイズに「矮小化(わいしょうか)」している作業に過ぎませんでした。これでは、本当の意味でお客様を動かす力にはなり得ません。
「私サイズの答え」が抱える、決定的な欠陥
「私サイズの答え」には、大きな欠陥が二つあります。
一つは、それが「お客様自身が自ら掴み取った確信」ではないということです。人は、外から与えられた正論では、本当の意味で腹落ちし、動くことはできません。
もう一つは、私一人の頭で考えた答えは、その会社だけに宿る固有の温度や、積み重ねてきた『地力(じりき)』を十分に生かしきれないということです。 また、「時代の流れがふとした瞬間に見せる『勝機への隙間』」を、私というフィルターが遮断してしまうことにもなりかねません。
お客様のこれまでの積み重ねが生み出す独自のパワーと、刻一刻と変わる市場のうねり。その両方が噛み合う瞬間を待たずに答えを出してしまうのは、あまりにももったいない「下手の相撲」だったのだと気づきました。
実践できない知恵は、ただのノイズである
今の私は、安易に知恵を授けることを慎んでいます。 もちろん、具体的な改善案を提示することもありますが、その前に必ず確かめることがあります。
「この方は、今、本気で取り組む覚悟が固まっているだろうか?」
もし、そこに迷いや停滞を感じるなら、私はすぐに自分の案を提示しません。代わりに、深く、静かに問いを投げかけ、イメージしていただく時間を設けます。
「もし、このまま何も行動を起こさず推移したとしたら……。 数年後、会社はどうなっていますか? 従業員の皆さんや、あなたのご家族の表情は、どうなっているでしょうか?」
この「負のシミュレーション」は、相手を追い詰めるためのものではありません。 相手が自ら進んでいる道の先にある景色を、自分自身の目で見届けていただくためのプロセスです。
「実践できない知恵に、意味はない」
その冷徹な事実を直視していただくことが、結果として、お客様が自ら「変化のスイッチ」を押すことにつながると信じています。
語り得ぬ深淵の、波打ち際に立つ
ラジオの中で、アナウンサーが問いかけていました。 「『後の先』とは、一体何なのでしょうか」
それを受けたゲストの方は、畏敬の念を込めてこう答えられました。 「とても私などが、解説できるものではございません……」
その言葉に、私は深く首首肯しました。 伝説の横綱が到達した高みは、理屈や言葉で捉えられるほど浅いものではないのでしょう。自らの生をすべて注ぎ込んだ者だけが、土俵という極限の空間で一瞬だけ触れることのできる「真理」なのかもしれません。
私が今日ここで綴った「コンサルタントとしての後の先」などは、その巨大な深淵の、ほんの波打ち際に触れた程度に過ぎないのだと思います。
「お前の土俵は、それほどまでに静かか?」
ラジオから流れた、遠い時代の、けれど瑞々しい老横綱の声。 今でもつい「答え」を先に口にしたくなる自分の未熟さを自戒しながら、この問いを一生の宿題として、私はこれからも、答えのない問いの前に静かに立ち続けたいと思います。
この記事を読んでくださった皆様の中にも、つい「答え」を急いでしまう瞬間はありませんか? もしよろしければ、皆様の現場での「待つ勇気」について、感想をお聞かせいただければ幸いです。